他に競争相手もなかったから対戦で盛り上がることができた
高性能化で表現の幅が広がったことにより鬱陶しいのも激増した
Switchのオンライン加入してファミコンソフトいくつか遊んだけどクソつまらんかったし
思い出補正ではないよ
実際にあの時代にファミコンを遊んだ人たちにとっては楽しかった
それは事実なんだから
ネットのない時代での友達とのリアルな情報交換
情報量の少ないドット絵がむしろ想像力を掻き立て作り上げる自分だけの世界観
遊びで仕込まれた裏技と開発側の意図しないバグ技の数々
抽選で当たる憧れのゴールドカートリッジ
ハードの制約が大きいからこそ極限まで無駄を削り楽しいところだけを抽出した宝石の結晶のようだった
今の子供もSwitchクソ楽しんでる
TVがTVを見るだけのもじゃ無くなったのがまず驚きだったな。
あと画面上の自分の投影である主人公キャラを
自在に動かせるだけで新鮮な面白さを感じた。
実はファミコンの数年前からTVゲームは存在したが、
ファミコン程の表現力を実装した家庭用ゲーム機は存在しなかった。
ファミコンは子供心に相当な可能性を感じさせるものだったわ。
だってファミコンより前ってゲーム&ウオッチとかカセットビジョンだもん
ATARIの選択肢はないし機械音痴も多かった
方眼紙にマップ描いたりとかな
めもを間違えると辛いんだよな
俺は途中でビデオで録画しておけば良いんじゃないかと思ってビデオ使うようにしてた
マイクラもドラクエ11sもモンハンワールドライズもFF7RもPUBGもウィッチャー3も楽しめてる
まあプレイする本数は時間なくて大分減ったが
あのカセットは今見てもワクワクする
あの形状、描かれているイメージ絵
最近は思い出商法でわざとファミコンっぽくしてるの多いけど、なんか気持ち悪いんだよな
あざといし、まず全然違うし。妙に小綺麗なのも気持ち悪い
そもそも草創期で「ゲームとは何ぞや?」っていう型枠自体がないから
クオリティーが高いとか低いとかという時代じゃない
まずはその「何ぞや」を作品を雨後の筍の如く出す事で積み重ねて行って
築いていく段階だから
今でも通用する最高のアクションパズルゲーム
いまの人達からしたら別世界に迷い込んだ感覚なると思うわ
FF3とか今やると各イベントの手軽さに驚くぞ
表現が限られていたためにゲーム性が
研ぎ澄まされていたところはある
できることが増えて過去の蓄積もあって
基本的には今のゲームの方が優れている
でも進化の過程で失われたものも少なくない
100%ゲームを楽しめたんだよ。
マリオ3と忍者龍剣伝は未だにちょいちょいやるが
今やるとつまらないというのと当時面白かったというのは別じゃん
実際当時は面白かったわけだから
思い出補正だというのは後出しじゃんけんやってるようなもんだよ
人は昔の思い出を無意識に美化しちゃうから、少なからず思い出補正はあるだろ
映画なんて最初電車が走る姿写るだけで客は熱狂したんだぞ。
2Dマリオやカービィなんかは未だにスーファミの奴の方が動かしてて楽しいし
大半がとんでもないクソゲーだったぞ
ごく一部の名作の思い出で面白かったと思ってるだけで
実際はクソゲーつかんで泣いた経験のほうが多い
ホームランか三振かみたいなもん
今のゲームはどれも平均値はクリアしてるけどそれだけって感じ
ホームランも三振もほとんどない2割5分のバッター
ゲームそのもののストーリーなんていくら勘当してもラストシーンだけとか
その程度しか記憶に残らん
でも友達と情報交換したり、一緒に宝箱探し回ったり、競いあったりした思い出は残る
今はウィキペディアや攻略サイトで大抵わかる時代だけど
昔は他人とのコミュニケーション無しではクリアが難しいゲームが多かった
スぺランカーとか全然余裕余裕
まぁ言い方の問題でもあるな
どうしようもないのも確かにあってそれはゲームになってないやつ
レリクス暗黒要塞とかな
俺switchで一番やってるソフトがマリオメーカー2で二番がテトリス99なんだよなあ
この二本も勿論switchの性能あってこそ実現したゲームだが、でも基本的なゲーム性って
ファミコン時代からあるものだからね
ゲームって実はシンプルな方が面白いんじゃないかな と思うんよな
子供のわい
ゲーム楽しい!
20代のわい
ゲーム楽しい!
30代のわい
ゲームたーのしいー!
なぜなのか
スーパーマリオ35はスーマリ1の思い出的な楽しみ方も出来
バトロワと言う斬新な要素もあり、俺的にはまさに一挙両得なゲームであった
またサービス再開せんかなー
引用元: https://anago.2ch.sc/test/read.cgi/ghard/1625299878/