ドンキーコング
ドンキーコングJR.
ポパイ
終 わ り
ドンキーコングと言っても主役はまだ配管工時代のマリオ
今だとスパイダーマンポジションだろ
ファミコンってマリオが最初の作品のイメージあったけどこっちなんだよな
実質、これもマリオなんだろうけど
スーパーマリオからじゃないと認められないからあっちが初代になっちまった
ドンキーコング、マリオブラザーズ、スーパーマリオだから実質、3なんだよね
ピンボールとレッキングクルーは?
>>11
ああ、他にもあるのか
でも、ジャンプアクション以外はあんまりつながってるかんじしないな
マリオブラザーズなんかは名前一緒だし3に入ってるし
そのマリオもマリオランド→マリオランド2 6つの金貨→マリオランド3ワリオランド→ワリオランド2と派生したからな
本当に任天堂はスピンオフ作るのうまい
テニスの審判とかゴルフもマリオじゃなかったっけ
対戦が画期的だった、感動してのを覚えている
家でドンキーコングが遊べると言うだけで最高の玩具だった
自分で選んだ記憶も無いが五目ならべと英語あそびは知育目的だったんだろうな
何でDKだけステージ少ないの?
>>19
容量の都合。
しかし何度も再販されて、ディスク版もあったから完全版として出しても良かった。
でもファミコンのドンキのインパクトは相当なモノだった。
ゲームセンターの興奮そのままだった。
この時期のライバルハードなんて
カセットビジョンとかSG-1000だぞ
ファミコンのグラとサウンドは次元が違った
世代が違うレベルのグラフィックだった
最初のサードのキラータイトルはロードランナー
>>27
最初期のサードはハドソン、ナムコ、アイレム
85年のスーマリによるファミコンブームから大挙してサードが参入しまくった
アイレムじゃなくてジャレコでは?
ググったらそうだった、スマン記憶違いで
だからアーケードから移植出来た
カセットビジョンやぴゅう太では無理
あれは本当に名作だったな
チャンピオンシップはクリア認定書も貰った
レッキングクルーやバトルシティーもよくやった
MZ-2500版は別格だったけど
他の高価な8bitPC版がカスに見えるくらいの良移植
さすがに後期移植のドラバスパックランド辺りはキツかったが
と言っていたな。それくらい学校現場では衝撃的な出来事だったらしい
今でいうとスマホかな
友達と1,2時間も遊んだら満足だわ
パックマンとピンボールだったわ
>>42
47歳の俺はプーヤンが初ソフト
ボンバーマン、スペランカー、ハイドライド、忍者ハットリ君
ツインビー、グラディウス、ゴエモン、グーニーズ
他にも色々と遊んだけど
自分が買ったゲーム、ツレから借りたゲーム、ツレの家で遊んだゲームがごっちゃになってる
ナムコとコナミを抱き込んだのは大きかった
同様のMSXはスプライト機能が貧弱過ぎてマニアには味が有る絵面だったが見栄えで負けた
俺はファミコンで出なかったキング&バルーン・ボスコニアン・ラリーXに惹かれてこちらを選んだが
うちはスーパーマリオとツインビーとスターソルジャーだった
ドンキーコングJr.ですらこっちの玩具屋に来るまで時間かかったぞ
発売予定スケジュール見せて貰ってマリオブラザースにワクワクしたもんだ
ファミスタには感動したな
セガのゲーセンのやつや任天堂のベースボールは
遊べなくはないがあと一歩感あったし
それと今みたいに発売初日にハードを買うものでもなかったから
ソフトがある程度出揃ってから買ったケースも多いと思う
ゼビウスで貧乏家庭にもかなり浸透してスーマリで社会現象として爆発した感じ
このロンチとかちょいあとのマリオブラザーズとかアイスクライマーとかバルーンファイトとかエキサイトバイクとか
その辺りは金持ちの家にしかなかった記憶
ちなみにその初期の金持ちが得意げにバンゲリングベイやってたが何が面白いのかさっぱりだった
マリオブラザーズとかドンキーコングってそこまで爆発してた?
>>84
マリオブラザーズは持ってる人が多かったかな
ドンキーとかJRは子供感覚だとちょっと前のゲームって感じだったような
ゼビウスはスプライトとスクロールが同時期の他機種版より大幅に良くて、当時の一般人にも名前の知れてたゲームの家でできる決定版的に絶賛されて注目が一気にファミコンに集まった決定打って感じ
>>87
もうちっと背景を説明すると。ファミコンのブームの直前にはゲーム&ウォッチなどの電子ゲームの
ブームがあった。その中にはドンキーコングやインベーダー、パックマンなどのACの移植もあった。
当時のACは回転率を高くする為にゲームの難易度は高くて、小学生がナカナカ長時間遊べる物じゃ
なく、だから不良がたむろする場所だと悪いイメージになり、禁止令も出たりしていたのよね。
でもそれだけにACゲームを思い切り遊べたらと言うのは、子供達から見れば一つの憧れだった。
(漫画『ゲームセンターあらし』もその憧れに一役買ったなw)
なので、ファミコンの登場は、ACに行かずに思う存分ACゲーが遊べる時代がようやく来た!と
待望の製品だったんだよね。そこを印象づけたのはやはりゼビウスなんだな。
固定画面の作品は何とか電子ゲームで再現できても、スクロールする作品はムリだったからね。
これで、ファミコンをおねだりする子が増え、参入するサードもドンドン増えていった。
一生懸命ワープしようとして出来ねぇ!とか大騒ぎしてやってたなw
引用元: http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/ghard/1605417210/